都市住宅とその時代
『都市住宅』(鹿島出版会)の初代編集長・植田実氏の訃報に接して以来、書架にある40冊余の『都市住宅』誌をアトランダムに繰っています。
蔵書の整理・移動というのは、誰もが人生において何度か起こり得ることでしょうが、何故か我が家の初手はいつも『都市住宅』誌であり、平積みの雑誌類のほとんどが昇順なのに、何故か降順で、自ずと6805創刊号の表紙が目に入り、いつのまにか私のなかに「都市住宅とその時代」という文言が生まれていました。
1968年5月といえば、医学部に端を発した東大闘争がすでに始まり、若き建築家たちにおいても、巨匠たちによる確立された世界を打ち破りたい、自分たちの価値観を表明したいとの気持ちが沸き上がるのは当然のことで、彼らにとってそれは、ゲバ棒ならぬ、「都市に過激な住宅を設計する」ことだったのかもしれません。他の建築雑誌とは明らかに違う、その名も『都市住宅』の登場に、彼らはどんなにか欣喜雀躍したことでしょう。ほどなくして、『住宅第○集』や臨時増刊という形で、後にアトリエ派と呼ばれる建築家たちの作品が続々と掲載され、『都市住宅』はまさに彼らのメルクマールといった存在になっていきます。
その一人だった黒川哲郎も、7212住宅第3集に鉄骨にガラスブロックの『北加瀬=高島邸』でデビューし、75冬第8集『黒田アトリエ』、7608『重箱住居』、7701『長谷邸』、7902『樹木希林の家』、8108『甲斐邸』と、RC造の作品が掲載され、座談会やアンケート、小論などを含めると、件の40冊弱に登場しています。
7701号には、坂本一成氏の『代田の町家』、室伏次郎氏の『東十条の家』、黒川哲郎の『長谷邸』、伊藤豊雄氏の『中野本町の家』が掲載され、4人のトークセッション「作品から言葉への距離――論と作品」が組まれています。司会は、1975年12月号まで編集長を務めていた植田氏で、そのPROLOGUEの冒頭に、
「私が進行役をおおせつかったのは,これまで『都市住宅』の編集者として皆さんの作品を取り上げてきたことの責任を取らされていることのような気がします.そして皆さんの作品にしろ,論文にしろ,今日までの時点でみて、一つのクライマックスに達しているという意味で,いろいろ話していただくよいタイミングだと思います」
と述べ、PART 1、2、3、4とそれぞれ各人にフォーカスした後、EPILOGUEの最後に、
「住宅というものへの理解に関しては色々な社会的な文脈があり,こうしたなかで、いままでのってきたことがすべて裏切られたというか破産してきたということが皆さんのなかにかに意識として残っているのではないか.オーダーメードの独立住宅を設計することの文脈というのは,結局純粋性への意識化がひとつのカギになっていた.それがリアリティをもつことに反比例して社会性の文脈はその分だけレトリカルに終わってしまう.さらに後続する世代がいっそうこの問題に深化させていくかどうかはわからない.たまたまある文脈の破産を見ながらそれを通過して自分の世界を内向化させていくというのは,建築設計というジャンルにおいては,あるいは近代という時間の中では一回かぎりの機会なのかもしれない」※1)
と結論し、「都市に過激な住宅を設計する」ことへの閉塞感を滲ませます。この9年後、8612『都市住宅』230号が最終となりました。
2000年刊行の『都市住宅クロニクルⅠ・Ⅱ』(みすず書房)※2)には、黒川哲郎が初めて手掛けた木造住宅『田中邸』を『JAPAN INTERIOR DESIGN』誌1978年2月号に発表した際に植田氏が寄せた「断片性の統合」が掲載されています。
「・・・・黒川の作品に潜んでいるユーモア、すぐにはそれを感じさせないような奇想、慎ましさ、体験的な分かりやすさは、近代建築の最後に見せる表情、本音のようだ。それは今のところ、ちょっとした味わい程度に見えるが、その限られた領域のなかに、建築家の苦闘は深みを増しているのに違いない、そこに日本の建築的状況のリアリティが一つ一つ確認されつつあるのも確かである」※3)
この文章は、「都市住宅とその時代」の頃に黒川が兄貴分として慕っていた植田氏からの、1978年当時の黒川への篤いメッセージだったのでしょう。氏の予見通り、黒川は、最後のRC造住宅、8108『甲斐邸』の設計後記の小論「部分・全体,部品」で、
「・・・・実体としての全体,つまり建築の構成には,フレーム(柱や壁といった骨組),エレメント(屋根・壁・床・天井),ジョイント(巾木や廻り縁など),アッセンブル(建具やノブなどの部品)がある.これらは,建築という全体のための<部分>であり,それが組み合わさって建築という<全体>が形づくられる」
と述べ、爾来、「木造建築の構法とそれが生みだす空間表現」に大きく舵を切り、半剛接軸組=スケルトンドミノの開発に邁進し,「部分・全体,部品」を追求します。この小論は「都市住宅とその時代」からの卒業、のメッセージだったのかもしれません。
※1)※3)引用の植田氏の文章は大幅に簡略化しています。
※2)『Ⅱ』は手元に無く、当たっていません。
参考:『頼山陽とその時代』中村真一郎著(昭和46年中央公論社)/『木村兼霞堂のサロン』中村真一郎著(平成12年新潮社)
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