ドメスチックな発想で成熟していく、1990年代の都市

ドメスチックな発想で成熟していく、1990年代の都市

黒川哲郎の掲載誌を整理していて、1989年6月号の「burg――サクセス&マネーを追求するライフ情報誌」(徳間書店)の「ドメスチックな発想で成熟していく、1990年代の都市」という小稿に目が留まった。

「books」というコラムで、『東京 下町山の手1867―1923』(1986年 TBSブリタニカ)、『誘拐』(1971年 新潮文庫)、『海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年』(1980年 中央公論社)という、時代も地理もジャンルも全く異なる三冊を俎上にして、都市のあるべき姿を語っている。

「このところの建築探偵ブームで、都市の活気の中に埋れてしまった歴史的建築を捜し出す楽しさを、専門以外の人たちも感じ、都市の歴史的多様性を支えるものとなっているようだ。はじめは無名でシンボリックでもなかった建物が、時の流れに生き残ったことから都市の中で際立ってくることにも気づき始める。

エドワード・サイデンステッカーの『東京 下町 山の手1867―1923』は、明治という、近世から近代の変革の時代、即ち維新による急速な、しかし先の時代の流れも色濃く残した都市文明の開花が、大震災によって消え去るまでの短い、きらめくような様子を描いている。著者は、『源氏物語』の全英訳で知られる日本文学者であるが、その純粋で知的な好奇心は「世界で最も興味尽きない都市」東京の、かつての姿を克明に探索している。とりわけ永井荷風の愛した下町を、それまで育んだ江戸の土着意識の強い文化と、優越感をもって流れ込んでくる異国の新しい文物が、半世紀余の間、きしみ合いながら少しずつ綯い交ぜになり、新しい町の文化を創り出していく様が、淡々と描き出される。

しかし現代の都市の魅力が、その生みだす刺激にあることも間違いない。都市の猥雑な環境と、そこに群れる人とが互いに触媒や起爆剤となって、刺激は相乗的なものとなっていく。ハメットやチャンドラーのハードボイルドを都市小説として読む見方が広まっている。・・・サンフランシスコやロスアンジェルスといった都市の個性が、あるいは都市の表と裏が、鮮明に浮かび上がってくる。

こうした伝統を現代のものとしているのは、ネオ・ハードボイルド派の、とりわけビル・ブロンジーニであろう。彼の「名無しのオプシリーズ」は、世界の都市が学生紛争で荒れた直後の1971年にスタートしている。ベトナム戦争で挫折を味わうアメリカは、内にあっても秩序崩壊が目立ち始め、都市の狂気と毒とがあらわに姿を見せることも多くなる。描きつづけられるサンフランシスコは主人公と共に確実に老い、都市に求められていた自由も、目に見えない時の流れとともに次第に硬直したものになっていくようだ。1974年、私は、第1作の『誘拐』を片手にアメリカ旅行をしたが、ロスのガラス戸一枚で外というモーテルで一夜を過ごした時に感じた言い知れぬ恐怖は、都市への本能的な不安であったのだろうか。

塩野七海の『海の都の物語』は、イタリア都市国家の中でも、特殊な位置と繁栄をもったヴェネツィアの都市経営の物語である。

私は「都市は本来住むところ」であり、それが正常に成熟すれば必ず「ドメスチック文化」が育つに違いないと思っている。「サテライトオフィス」というオフィスと住まいの接近や、「オフィスヒュマニゼーション」というオフィスの居住空間はその予兆であろう。
残念ながら80年代には、土地無策の結果、「都市が住むためのもの」でなくなってしまったし、90年代に回復できるとも思えない。次善の策とは言え、今、サブ・アーバン(サバーバン=郊外)が、都市的な意味を持ちはじめている。そこでのドメスチックな発想が、江戸文化や明治の下町文化のように、都市文化をその時代と共にあるべきものにするだろう。また日本から外へ、外から日本への眼差しを考慮しなくてはならに時代に、それをゆるぎないものにするであろう。この時、ヴェネツィアのような小さくとも創意工夫に満ちた都市が、大きな意味を発してくるであろう。
大きな図体と中央集権のエゴイズムをそのままにして、行政組織だけを小さくする行革に代わって、より新しい都市の自治のあり方と、そのための知恵と模索に、多くの示唆を与えてくれる1冊といえよう」

 

このクリティークを書いた翌1990年、黒川は、ドメスチックオフィス――オフィスを住居に/住居をオフィスに/シフトする家具たち』展(有楽町西武)を開いて、「都市は本来住むところ」の小さな提案をしている。

そして今日、2021年の東京は、テレワークの推奨される中、GoogleMapでみる麻布台や渋谷桜丘町は一面茶色の砂漠と化している。

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