
空間談議 於:壺中天地Ⅲ/陣内アトリエ
『陣内アトリエ』(1992年)(*¹)の住まい手の方とほぼ30年ぶりにお目にかかる機会があり、ファイルを紐解いてみたところ、山本理顕さんとの対談記事(LIVE ENERGY 1993 No.42)がありました。『於:壺中天地Ⅲ/陣内アトリエ』というタイトルの【空間談議】ですので、ライブ感が半端なく、サマライズしてみました。
山本氏:僕は、大学院で東京藝大へ行って、非常勤助手だった黒川さんに初めて会い、当時の黒川さんの、鉄骨でガラスブロック壁の3階建ての作品(*²)が猛烈に過激で、今の時代を予感させるような住宅でした。そのころから印象は変わっていなくて、具体的に言うと、材料を自分で作るというのは当然自分でディテール考えなきゃいけない。黒川さんの作品には、材料と一緒に新しいディテールが必ずあってその冒険しているところが過激に見えるわけです。藝大の吉村順三や吉田五十八は、自分で材料を探してきて危ういディテールをたやすい表現に変えていった、そういうところを引き継いでいるように思えます。
黒川:このアトリエ付き住宅は、彫刻家の娘さんとお母さんの二人暮らしです。通直の集成材を使い、構面なしの木造ラーメンで、伝統的な枘はそのままとし竿部分を枘上下2本の引っ張りボルトに換えて半剛接性を得ています。この構法(*³)で数年前から数作実践を重ね、今回は屋根・外壁に加えて塀も一帯の被膜とし、大きく庇を張り出して2層分の連続したガラス面を作り出しています。
さらに家具や緑を「光景」や「風景」的オブジェとして建築に編み込んで完結した文化圏とし、そのマイクロコスモス=壺中天地を周辺と習合させ、「都市や自然」との関係も文化につながるものにしていこうと考えています。
山本氏:ストラクチャーがあって、外に被膜があって、床がまた別にあって、プランはまたプランとしてあってという考え方自体が、当時ものすごく新しかったわけですが、この住宅を見ていると、何か楽々とこなしているような、黒川流の極致に入ってきている感じがしますね。
黒川:部品とか材料(素材)、ディテールにこだわって作ってきていることは確かです。部品的部分が全体として空間につながっていくあたりも早くから意識していましたが、表現になるとモノっぽかったかな。
ただ、通直の集成材を使ったのは、きっと僕が初めだと思いますが、亜鉄骨的に金物を固めていくとか、剪断ボルトを使って縫っていくという意識は最初からなくて、伝統工法の仕口を現代化していく意図でした。
大げさな言い方をすると「日本の文化は木造建築が支えてきた」という意識があってやってきたけれど、表現を収斂させていく方向がなかなか見いだせなかった。部品的な部分は逆に表情を弱めていかざるを得なくて、やっと全体性の方に力点をおくことに向いつつあるのかな。
この住宅でも、外壁や塀を抽象的な表現に整理していこうとすると面や線になるわけで、そのためのディテールは、建築のエレメント性が、空間的なエレメント性に寄っていって、ビルディングエレメント的な構成要素が姿を消していく。
山本氏:「技術的に集約されるところが新しい」というのが近代建築のある部分を担っていましたよね。つまり新しい技術が新しい建築につながっていくし、新しい技術を開発しない限り新しい建築というのはあり得ない、という認識があったと思う。黒川さんの場合、架構法も含め、新しい技術を担おうとしている。技術的に新しくない限り、やはり建築はある価値をもち得ないという。
建築は生活のための容器であるけれど、一方で空間の質を保つための容器であり、その性能を上げるための技術というか、そこでの役割を黒川さんは目指しているような気がする。ストラクチャーはストラクチャーで、架構は架構として、被膜は被膜でというふうに、それぞれ技術を分けて考えていて、それが僕にはとてもドライに見える。住む人に何か極めてドライな関係を作っていかざるを得ない住宅を作っているような。ドライな生活の方に主眼があるのかそれとも技術そのものなのか、どう考えていますか。
黒川:『陣内アトリエ』での、例えば被膜、ここではガラス面の役割とそこでの技術がやっとコントロールできるようになったような。せっかく屋根と壁とで敷地いっぱいまで囲い込んだわけですから、そこに内外(うちそと)の関係を作るときに、ガラスの中に生活が光景的に閉じ込められるわけですが、他方で、閉じ込めるもの、あるいは映し出されるものとして、ガラススクリーンを間に置く、というふうに生活と建築との関係を割り切ってしまう、そういう点は確かにドライかもしれない。ただ内外(うちそと)がガラス一枚で隔てられる空間的な体験の面白さを、実感として生活の一部として楽しんでもらうようにも考えています。
山本氏:住宅を作るとき生活に関してほとんど無関心な人と、生活にこだわる人とはっきり分かれているように思う。黒川さんはドライな生活派というか、生活のにおいのしない生活派、という意味では似ているように思う。僕は在来工法でアルミサッシを使ってしまいますけれど。
黒川:理顕さんの場合は、「あり方」みたいなものがまず非常に強くありますよね。そこに至る手法というのは、既成のアルミサッシを使おうがそのものには関係ない気がします。僕もディテールにこだわっているようだけれども、僕なりに割り切っているところがあって、おそらく走っているレールは共通するところがあると思いますね。
山本氏:黒川さんとアプローチの仕方が違うけれども、態度みたいなものは似ているような気がします。
と、共に50代にさしかかろうとする建築家二人がシンクロしながら建築の未来を見据えて、この【空間談議】は締めくくられています。
「構法」のスタディを重ねてきた黒川にとって、「表現」のスタディが視野に入ってきた『陣内アトリエ』を、慧眼の山本理顕さんは「スタイルとして確立しつつある」と見抜いてくださったようです。
30年の時を経て、彫刻家の娘さんは三人のお母さんとなられたとのこと。この『壺中天地』には様々な「光景」が繰り広げられてきたことでしょう。そしてこれからも、南面する公園の北斜面に広がっている「風景」を取り込みながら引き継がれていくことでしょう。
(*¹)『陣内アトリエ』(住宅特集9212/日経アーキテクチュア921123)
(*²)『高島邸』(都市住宅7212/建築文化7207/住宅建築7609)
(*³)スケルトンドミノ構法『建築のミッション―スケルトンドミノとスケルトンログは林業と建築を結ぶ』(黒川哲郎著/鹿島出版会2012年)/ 『日本の木でつくるスケルトンドミノの家』(黒川哲郎著/平凡社2014年)
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