「置戸営林署庁舎」ガラスと金属板でフラッシュなサーフェイスをつくる

「置戸営林署庁舎」ガラスと金属板でフラッシュなサーフェイスをつくる

「置戸営林署庁舎」ガラスと金属板でフラッシュなサーフェイスをつくる

亜鉛鉄板会のPR誌「亜鉛鉄板」の1998年7・8月号で、東京理科大学の井口洋佑先生と10頁にわたる対談をしています。

当時はまだガルバリウムという名称は使われていなかったようでJISの「55%アルミ―亜鉛合金めっき鋼板」という舌を噛みそうな言葉で登場しています。

井口先生は、調布の野川を散歩しているとき、たまたま「山本邸」をご覧になり、「黒川さんの作品は面白いうえにハードをおろそかにしない、徹底した設計をされる方だと思った」との前置きから、黒川の修業時代のバックグラウンドをおたずねになっています。

「私が住宅で強く影響を受けているのは吉村順三先生で、建築の面白さを教えていただきました。それからライトの弟子の天野太郎先生からは、プランニングからデザインまで、学生の時からかなり教え込まれておりました。‥‥助手の時代が長かったので、山本学治先生、奥村昭雄先生、清家清先生ともお付き合いさせていただきました。設計実務の方の修行は、大学院を出てから2年間藤木忠善先生に、それこそ建具の鍵の選び方まで逐一教えていただき、お陰でそのあとは、ほとんど一人でやっています。」

そして「山本邸」の工法のはなしにもどって、「芸大にしては工法的なことに興味がありそうだというので、大野勝彦さんから「部品化木造住宅」の研究会に引っぱり込まれました。

その時に初めて、コーディネーションのことや部品化のことを、体系的なこともひっくるめて教えていただき、以前から集成材にも関心があったので、

クライアントの山本さんの注文が「開口部の大きい家」ということもあって、筋交いがないラーメン構造の木造住宅というのを志向したのです」と、のちに「スケルトンドミノ構法」に向かうきっかけとなったことを語っています。

「作家としての活動の中で、やはり木の占める割合がいちばん大きいのでしょうか。」との問いには、

「必ずしもそうではありません。鉄骨もコンクリートも好きです。ただ建築の原型みたいなもの、建築のメデイア性みたいなことでの興味として、木という素材の存在が大きいことは事実です。

それからエコロージーということが自然ばかりでなく、文化を含んだ風土的なイメージということに関心を持っています。資源と環境だけで割り切って考えるのではなく、そこに我々の生活とか心のよりどころを見出すかが大事だと思います。そうしないと保つ家も保たせようという感覚にならない。

心のよりどころという視点がないとエコロージーという考え方自体が、あきられ忘れられてしまうと思うのです。」

ここでやっと「55%アルミ―亜鉛合金めっき鋼板」の話になります。

「鉄骨の場合は工法が平準化しているので、要素化していきたくなり、コンクリートの場合は、ズルズルつながっていて、どこまでが構造でどこまでが皮膜だかわからないところを、形態で緊張感をもたせるようなベクトルがあります。

木造は、大断面と言っても、弱点を補い、特性を生かしていろいろまだ工夫しなくてはならない。他方で木造は、空間と構造のバランスがとりやすい。構造が空間に適度な緊張感を醸し出してくれる。それにどう開口部をつくり、壁をつけていくかということになるのです。

そして「山本さんは、屋根や庇やバルコニーは好きでないと。私も空間をマスでとらえるイメージが理解できたので、どうやって表現しようかということになって、外壁とか壁を皮膜あるいは皮膚に置き換えて、ガラス1枚で内と外が隔てられている建築、つまり皮膜あるいは皮膚的な外周部を作ろうと思いついて設計し、ガラスに対応する壁の部分をどう展開するかというときに、「55%ALめっき鋼板」が建材に使えそうだということになりました。かつて、門扉を設計したとき、自動車の部品工場でつくったので、その時に存在を知っていましたが、間もなく、雑誌に建材として広告が出て、店舗のファサードに使われていたのです。

いよいよ公共建築での「55%ALめっき鋼板」に話が及びます。

北海道の場合、庇を出すとスガ漏りがおこるので、「置戸営林署」で、庇の無い建物、ガラスと金属板でフラッシュなサーフェイスをつくったのです。

アメリカでは農業用のサイロに使われているというのもあり、また北海道は金属板に対する信頼性が非常に大きいというのもありました。」

井口先生から「素材というのは年数がたつとだんだん良くなるというのが理想です。経年変化で深みが出てくるというのは木に近い性格ですよね。」というお言葉があり、話題は施工に続きます。「問題は施工ですが、良い板金の仕事というのは、非常に緊張感を与えてくれるものだと感じました。それこそ皮膚を作ってくれて、東京では今まで経験できないことでした。」と、最後は、職人さんの気概や名人芸の発掘やめぐり逢いのお話しで盛り上がって、対談が締めくくられています。

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