グローバルな感応とブリコラージュ的構築

グローバルな感応とブリコラージュ的構築

グローバルな感応とブリコラージュ的構築

この魅力的な文言は、前回「成長する部品」でご登場いただいた藤原徹平氏が、『住宅特集』の連載「建築家自邸からの家学び」の第13回(2013年8月号)に掲載のクリティークに付けてくださったタイトルです。

2012年11月21日、真壁智治氏と古田陽子氏、日本大学の佐藤光彦先生と研究室の学生さんたち、そして藤原徹平氏と新建築のスタッフの方々の来訪を受け、『重箱住居』は久々の熱気に包まれました。藤原氏はその時の黒川とのやりとりを、

「書棚の脇に中国杭州の地図が置いてあったので私が担当したプロジェクトに話題を振ると‥‥話は杭州から漢字文化へと盛り上がり、いつしか書の話に変わり‥‥床の間の空間論に転じて、さらに庵の建築論に展開してぐるりと『西泠印社』に話は戻ってきた。ならばと、私がプロジェクトのためにリサーチした【杭州式の庭園と建築は、両者が未分節に絡まり合った複雑なシークエンスをもつことである。それは中国の書院には壁による空間と軸による空間の2面性があるからだ】と論じたら、黒川氏は楽しそうに首肯してくれ、【透明な軸の空間と、家具による設えのマトリックスシステム】という日本建築が持っていた普遍性と可変性を披露され、そこから一気にムーアのジャイアントファニチュアに、太平洋と時代をひとっ跳び。そうかと思えば吉村順三が障子を用いたのは伝統回帰ではなく、その照明や調湿の効果に着目していたからだとエンジニアリング的な視点が置かれ、屋上の増築の話からコルビジュエの家具の彫刻的な取り扱いに話が進み、返す刀でスターリングの【新しい建築を設計するときには新しいディテールを3つは考える】という話題で盛り上がる、という具合に縦横無尽に世界の建築文化を飛び交う忘れがたい特別な時間を過ごした」

と、生き生きとデスクライブしています。そして、

「黒川氏は、1976年の発表時に「箱」という言葉を使ったことを自分自身で不思議がっていた。なるほど1970年代終盤からはじまる木造架構への継続的なアプローチ、スケルトンドミノやスケルトンログの試行を思えば、氏は「骨」の人である。氏の視点は、【壁がない骨(軸)の建築は日本の木造建築文化ならではある】のだが、氏は4つのセル(骨格・被膜・設え・環境調整)によって、日本建築を、地域性や時代性でとらえるのではなく、むしろ文化圏を問わず、世界中の建築をとらえ直し、理論を一から組み立てていこうとした。建築を一からブリコラージュ的に定義しようとする知の迫力も凄いが、さらに、氏の凄いのは、その作法を単体の作品ではなく、多量に続く作品群によって社会に根付けようとしたことである。その孤独で革命的な業績の全体像を追うには誌面が足りない」

と、黒川の、建築家としての生きざまを評しています。そして『重箱住居』について、

「東立面に不思議なかたちの打ち継ぎ目地があり、この目地こそが『重箱住居』の層の分節そのものであることに気づく。1層目は南側の折り上げ天井、2層目は採光するために突起した北側ヴォリューム、3層目は吹き抜けを作るための虚のヴォリュームによって、それぞれ必然的な造形の「箱」となり、それらが積みあがっている。面白いのは、南側立面には、むしろ【整った一つの箱】が表れている。これには、コンクリートという彫塑的な建築材料に対して、ヴォリューム的な建築思想と軸的な建築思想の両面への興味が見て取れる。
1階は「井の字型」2階は「サの字型」と氏が呼んだアイデアによって、複数動線、回遊動線が確保され、シークエンスを伴った回遊的体験である。
アーチ梁や高天井、吹き抜けといった重厚な架構=スケルトンが作る彫刻的な分節の中、樹脂板家具のパーティション、スケールインの木製階段、工業的ディテールをもつスチール建具などのインフィルによって階層性がもたらされ、それらが折り重なることで独特のシークエンスが生まれる。ここには後年の軸的なオープンで立体的な空間の骨格への強いこだわりもすでに見て取れるし、世界の建築文化への幅広い興味がストレートに顕わになっている。‥‥
この家は、プログラム的には2世帯の積層であるが、空間の骨格としては3層の重箱である。1層目からは外階段を使って直接3層目にアクセスできるし、2層目は床の無い3層目が被さることで、4回のリノベーションを経ても常に立体的なシ-クエンスによって回遊性が保持され続けている。この【二つのプログラムと3つの層というズレ】に、創造性の革新と秘密があるように考えられる。」

と解析し、こう結んでいます。

「コンクリートという彫塑的な建築文化と、木造という乾式的な建築文化が、氏の複眼的な知性の中で突如出会い、ブリコラージュ的に組み立てられたことで初めて可能となった、関係性の相の巨大さを獲得した稀有な建築であると思う」

当日、編集部の方から「新進気鋭の論客です」と紹介され、嬉しそうにしていた黒川は、残念なことに藤原さんの玉稿を目にすることは叶いませんでした。黒川の、建築家としての生きざまに正面から向き合ってくださったこと、感謝に堪えません。

次回は、1981年から82年にかけて「建築知識」に連載した『新部品考』から黒川の言葉をひろっていく予定です。

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