素材感(テクスチュア)と素材(マテリアル)

素材感(テクスチュア)と素材(マテリアル)

掲載誌の書架を整理していて、たまたま手に取った1985年5月号の『建築文化』で、「素材感(テクスチュア)と素材(マテリアル)」という小論に出逢いました。

常々皆様から「黒川さんはどうして『都市住宅』誌的なRC造を止めて、木造にこだわったのだろう」と問われ、また坂牛卓氏の「『上野公園動物園前交番』の横を通るたびに黒川哲郎は何を思ってこういうデザインをしたのだろう、いまだに謎である。30年近く不思議に思い続ける建築もそうはない」とのブログへの答えが、直接的ではないものの、この小論に潜んでいるよう感じ、サマライズしてみました。

私の素材との最初のストラグルの経験は、ガラスである。鉄骨のフレームに、音と熱と光とをモノリシックにコントロールする被膜を組み合せたいと考え、当時〔忘れられた素材〕であったガラスブロックのデザインを試み、その結果生まれたのが『コロナ』である。この時の、ガラスのオプティカルナな性状、透光不透視の素材がつくる空間の世界、そして空間をつくる単位としての〔部品〕といった発想が、私の建築デザインを方向づけた

実はこの時もう一方で、このガラスブロックと積み合せて使うセラミックブロックも手掛けていたが、原料の朱泥土の枯渇や型のコスト増などで中断せざるを得なかった。・・・・ガラスとセラミックの境界、あるいはそれらと金属との境界さえ、同じ窯の仲間として融け合い始めているようだ。

これらの経験は私に、素材をテクスチュアとしてだけでなく、マテリアルとして考えることを身につけさせることになったように思う」

と、文頭から「ストラグル」という言葉でややこしく始まっていますが、次段は、実にストレートに「私は、木という素材が好きである」と語り始めます。

「建築と木との関係から言えば、その関心は木構法とか仕上げとかが中心であるべきだが、私の場合は、サッシも木でつくりたいし、外壁も断熱も木を使って木製住宅をつくってみたいなどと考えてしまう。その結果、どんな樹種をどんなふうに育てるかやその集成材としての利用、といった林産学的なことにも関心が向いてしまう。つまり、建築を木でつくることと、そのための木をつくることやそれを材木にすることが、切り離しがたいものになってしまう。勿論、木組や木割、あるいは木肌や木目、それぞれの樹種の性状にも人一倍関心があるのだが、塗装や防腐も知りたくなるし、木と金物とのことなどへも拡がってしまう。日本では、こと木となると何故か伝統墨守の純血主義が多いのだが、私は「木に竹を継ぐ」ならぬ、「木と金物とのハイブリッド」も必要だと思っているし、そこにその美しさを作り出したいと思っている」

と、飽くなき好奇心と、己の目指すところを語ります。

その少し前に、日本住宅・木材技術センター委託の『部品化木造住宅 試作A棟(1981年)』で集成材と出会い、ニュージーランド直輸入のラジアタ松の集成材によって一方向とはいえ在来の壁の制約から解放された山本邸(1984年)』を設計し、『貫構造・差鴨居構造設計方法の開発(1984~1985年)』で半剛接の仕口「差鴨居」を知り、それを現代化した2方向半剛接(*1)『菊地邸(1986年)』の設計をしていた黒川は、こう続けます。

「集成材で軸組を考えるとき、スギ材やヒノキ材の場合の仕口よりも、鉄骨の場合の金物がふさわしい。一種のヘビーティンバーである。だからといって十分美しいとは言えないし、木と金物の関係もハイブリッドに程遠い。私がほしいのは(義足的ではない)サイボーグ的なハイブリッドである。その可能性は、仕口と金物をそれぞれ長期と短期の応力に対するものとして使い分けるジョイントのハイブリッド的な考え方、その金物を鋳物にしてロストワックスによるステンレスでつくったりするデザインの仕方にあり、それによって力を滑らかにスマートに流すことが必要と思われる」

と、ライフワークとなる「スケルトンドミノ」や「スケルトンログ」の萌芽が見え隠れします。

次々段も、「ステンレスは錆びない、そして何よりも独特なメタリックな表情が好まれている素材である」とストレートに語り始めます。

「そのもっとも現代的といわれるヘアラインやバフは手仕事で行われているし、溶接もしかりである。一方、鋳造という長い歴史を持つ技法でできた部品の仕上げは、バレル研磨やショットブラストによっていて、すべての工程が機械化されていて、それによって生まれた表情はステンレスの結晶さえも析出して美しい。

こうした素材そのものともいえるテクスチュアを見ていると、手仕事と機械仕事のストラグルにおいても、ハイブリッドという止揚の関係が求められているように思う。

私はこのところ、1か月に3個所ぐらいのペースで建材関連の工場を見に行っている。これは半分趣味とも言えるのだが、私にとっては建築の現場に行くことと同じ意味を持っている。つい先日も、ステンレスでパーフォレイトボードをつくっている工場へ行ったが、その職工たちは、マークを見なくともメーカーを見分けるし、メーカーの違いが、出来上がった製品の用途によっては、てきめんに影響が出るという。・・・・こうした人間と機械の違いの様子をつぶさに見ていると、人間を科学や技術と対峙的な関係に置くことが、いかに机上の発想であるかを強く感じる。それはまた道具と機械、職人と職工、自然の素材と人工の素材を差別することであり、機能主義の否定を純文学的なデザインの免罪符としてきたことでもある。このことが、建築の構築的であるべき本質を見失わせ、素材をマテリアルとして捉える目を見失わせてきたように思えてならない」

と結んでいます。

この5年後に『上野公園動物園前交番(1990年)』が、約10年後に「スケルトンログ」の初作『置戸営林署庁舎(1993年)』が結実します。

既出の『菊地邸』で、構法としての「スケルトンドミノ」は確立したと言っていた黒川は、戦後の大量植林によって人工材が大径化して可能となった無垢の製材24㎝角による『Ⅰ邸(2012年)』まで、14件を重ね、「スケルトンドミノ」のマトリックスプランニングの可能性を追求します。

一方、「スケルトンログ」は、絶作の『うきはアリーナ(2009年)』まで30余件、竣工地の森林組合や地元の大工さんたちと、それこそストラグルしながらブラッシュアップを重ねていきます。

そして、この小論から30年後、黒川の設計思想は、レヴィ=ストロ-スの『野生の思考』に到達します。(*2)

*1 協同の構造設計家・浜宇津正が日本建築学会の図書館からみつけてきてくれた田邊平學らの論文から生みだした、現代の構法
「木造柱梁接合部の強度並びに剛度に関する実験 耐震耐風木構造に関する研究 第3報」(論文集1936年3月)
「交番水平荷重を受くる木造無壁骨組の実験 同研究 第5報」(論文集1937年3月)
「木構造骨組の実用横力分布係数に計算法に関する一二の問題 同研究 第8報」(未詳)

*2『建築のミッション――スケルトンドミノとスケルトンログは林業と建築を結ぶ』(鹿島出版会)の「あとがき」より

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